『玉鬘の姫君の娘(大君と中の君)、冷泉院(前冷泉天皇)と今上帝から求婚される・二人の天皇からの求愛物語「源氏物語」「竹河」19-B』はセカイモンでdb831bから出品され、304の入札を集めて05月10日 23時 35分に、15000円で落札されました。即決価格は15000円でした。決済方法はに対応。新潟県からの発送料は落札者が負担しました。PRオプションはストア、取りナビ(ベータ版)を利用したオークション、即買でした。
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不昧公の正室・方子と娘・玉映の落款
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明石の君の母、出産前の明石の女御に源氏の君と明石の君との昔話を語る・大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」(英訳文・中国語訳付)茶道具74B
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自筆「源氏物語」の「竹河(たけかわ)」の巻は、禁裏(京都御所)において書かれたものです。
自筆「源氏物語」の筆者である「大炊御門宗氏(おおいのみかどむねうじ)」は、室町時代の第103代天皇である後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)の曽祖父です。
したがって、出品した自筆「源氏物語」は、天皇の曽祖父の貴重な自筆です。大炊御門宗氏の長男・信宗の娘が大炊御門信子(のぶこ)であり、信子は後花園天皇の寵愛を受け准后として御所に居住し、皇子を生み後に第103代後土御門天皇として即位し、信子は生母・皇太后となる。現在の今上天皇と系譜がつながっている。
関白・近衛基熙(このえ もとひろ)は、後水尾院(第108代後水尾天皇)の皇女・常子内親王と結婚。二人の皇女・熙子(ひろこ)は、甲府藩主・徳川綱豊と結婚。綱豊は、のち第六代将軍・徳川家宣となり、熙子(ひろこ)は将軍家宣の正室となった。近衛基熙は、千利休の孫・千宗旦との茶会の交流(下記に掲示)で知られると同時に、第111代・後西院天皇や後水尾天皇を主賓に迎え茶会を開催。茶会の際、基熙が所蔵する藤原定家・自筆の「定家色紙」を持参した記録がある。基熙は、他にも朝廷・幕府の間で茶会を何度も開催した記録が残っている。(資料の記録は下記に掲示)
出品した「源氏物語」は、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」の自筆です。
自筆「源氏物語」の書の特徴から高松宮系統と称されるものです。「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、少なくとも応永五年から8年間にわたり書かれていることがわかる。このため後醍醐天皇の宸翰(しんかん・天皇自筆)にかなり近い年代に書かれていることがわかる。また、各巻ごとの書かれた年については不明。従って、応永五年とは、書き始めの年である。また、落款から、後年、近衛基熙(1648~1722)の所蔵となり、時代が下って、松平不昧公の手にわたり、正室・方子の所蔵となったものである。近衛家で永く保存されておりましたので、保存状態は極めて良好です。
大炊御門家は、平安時代末期摂政関白藤原師実の子経実・治暦4年(1068)~天承元年(1131)を祖として創立された。大炊御門北に邸宅があったため「大炊御門(おおいみかど)」を称する。初代、経実の子経宗は平治の乱で平清盛方の勝利に貢献。また、二条天皇の外戚として勢威をふるい、左大臣に昇った。出品した「源氏物語」の筆者・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)は、大炊御門家13代の当主で南北朝時代から室町時代前期の公卿。応永5年(1398年)に従三位となり公卿に列する。備前権守、参議、権中納言、権大納言などを歴任し、応永27年(1420年)に内大臣に昇任した。
旧・所蔵者の近衛基煕は、「源氏物語」に造詣が深く、「源氏物語」の注釈書『一簣抄』(いっきしょう)を著(あらわ)しております。炊御門宗氏・自筆「源氏物語」は、近衛基熙が研究のために収集し、のちに出雲松平家に伝わり、松平治郷の正室・方子が鑑賞していたものです。近衛基熙が所蔵する自筆・「源氏物語」の中で、最も美しく繊細な筆致で記された平安時代の文字に最も近いとされております。数ある自筆「源氏物語」の中で、第一級品と称される貴重な自筆です。
出品した「源氏物語」は竹河(たけかわ)の内容の要旨
「竹河」(たけかわ)の巻は、『源氏物語』五十四帖の巻名のひとつ。薫の君、14歳から23歳までの恋物語。薫の君15歳の正月下旬、髭黒大政大臣の正室であった玉鬘(たまかずら)の姫君の邸に薫の君や蔵人少将(夕霧の子息)が集い催馬楽の「竹河」を謡い興じていた。その席で玉鬘(たまかずら)の姫君は薫の君が弾く和琴の音色がなき弟の柏木の音色に似ていることに気づく。3月の桜の花盛りの夕暮れ時、玉鬘(たまかずら)の二人の姫君が御簾をあげ、桜の木を賭け碁を打っていた。蔵人少将(夕霧の子息)はその姿を見て二人の姫君のうち姉の大君への思いを募らせていく。薫の君、蔵人少将と玉鬘(たまかずら)の二人の姫君のきらびやかな恋物語が描かれている
原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)玉鬘には美しい二人の姫君(大君・中の君)がいる。(八の宮の姫君とは別)二人の姫君には冷泉院(前冷泉天皇)、今上天皇、そして蔵人少将(夕霧の子息)というきらびやかな求婚者がいる。しかし、髭黒大政大臣という夫のなきあと、玉鬘は朱雀天皇の皇后で明石中宮の権力に圧倒されていた。明石中宮という圧倒的な権力者の前に自分の立場が風前の灯であることを悟る。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白楽天」の漢詩を読み理解し共鳴していることがよくわかる。詳細な理由は下記説明欄に記載
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
大炊御門宗氏・自筆「源氏物語」近衛基熙・旧蔵の来歴については下記「説明欄」に記載
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
「竹河」の巻は英文で「The Eastern Cottage」と表記されます。
《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》
(自筆表面の凹凸はストロボの反射によるものです。)
「自筆原本」
自筆右下の上の印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の落款。
自筆右下の下の印は、仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室・伊達貞子の押印《自筆上部の原本自筆上部に「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の
落款が押捺されている。漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白楽天」中の有名な一節です。》
《原本中の凹凸はストロボの影響によるものです。》
自筆下部の印は出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)の落款(印譜)
自筆が「古切」とされたのは江戸時代。古切に至る詳細な経緯は下記「希少価値欄」に記載
(1)・自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
いたうもかく(隠)さす。そこはかとなくて、
たゝ世をうらめしけにかすめたり。
「つれなくて過くる月日をかそ(数)へつゝものうらめしき暮の春かな」
「人は、かうこそのとやかに、さまよくねたけなめれ。
わかいと人わら(笑)はれなる心いられを、かたへはめ(目)なれて、
あなつりそめられにたる」なと思ふも、むね(胸)いた(痛)けれは、
ことに物もい(言)はれて、れい(例)かた(語)らふ中将のおもとの
さうし(曹司)のかたにゆ(行)くも、れい(例)の、
かひあらしかしとなけきかちなり。侍従の君は、
此返事せんとて、うへ(上)に参り給ふをみ(見)るに、
いとはらたゝしう・・・・・《やすからす》
(文責・出品者)
「原文の読み下し文」は、読みやすいように「通行訳」としております。
《「源氏物語」竹河(たけかわ)の巻》
《太政大臣の正室・玉鬘の姫君(大君・中の君)への冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の求愛物語・自筆「源氏物語」「竹河」の原文》<BR>
《玉鬘の姫君の娘(大君)、冷泉院、今上帝から求婚される》
《正月下旬、薫の君、玉鬘邸を訪問し源少将(夕霧の子息)と宴を催す》
《桜の下、蔵人少将(夕霧の子息)玉鬘の二人の姫君(大君と中の君)の囲碁を隙間見る》
《大君・冷泉院(前冷泉天皇)の許に輿入れ》
《蔵人少将(夕霧の子息)、薫の君から姫君(大君)あての手紙を見る》
《少将(蔵人少将・夕霧の子息)は、いまさらかいのないことながら繰り言でも
聞いてもらおうと思って、いつものように藤侍従(玉鬘の子息)の部屋に来てみると、
源侍従(薫の君)からの手紙を見ておられるところであった。
隠そうとするので、少将(蔵人少将・夕霧の子息)は、侍従の君(薫の君)から
姫君(大君)への手紙なのだろうと思って奪い取った。
子細ありげに見られるのもと思って、侍従(藤侍従・玉鬘の子息)は、
しいて》・・・・・・隠すこともしない。その手紙には格別のこともなく、
ただ姫君(大君)とのことをうらめしく思う気持をほのめかしている。
(薫の君)「わたしの気持など素知らぬふうに過ぎてゆく月日を送り迎えしている
うちに、なんとなくうらめしい思いの春の果てになりました」
(蔵人少将・夕霧の子息)「あの人(薫の君)はこうも悠然と体裁よく
奥ゆかしげにふるまっているようだのに、この自分はみっともなく
いらいらしているのだから、それが一つには誰の目にもいつものことと思われて、
それでばかにされるようになってしまったのだ」
と思うにつけても少将(蔵人少将・夕霧の子息)は胸が痛くなるので、
もう何を言う気にもならずに、いつもなじみにしている中将(大君付女房)の
おもとの部屋のほうに行こうとするにつけても、例によって、
(蔵人少将・夕霧の子息)「いまさらどうにもなるまい」
とつい嘆息がもらされるばかりである。
侍従の君(藤侍従・玉鬘の子息)が、
(藤侍従・玉鬘の子息)「これの返事をあげましょう」
と言って、母君(玉鬘)のもとにまいられるのを見ると、
じっさい腹立たしく・・・・・《気持がおさまらず、若気の一途に物事を
思いつめているのであった。》
追記・玉鬘の姫君(大君)に対し、冷泉院(前冷泉天皇)と今上天皇の二人から、入内の要請が来ており、玉鬘の姫君が迷っている場面を記しております。
備考・玉鬘の二人の姫君のうち大君(姉君)は冷泉院(前冷泉天皇)の妻となり、中の君(妹君)は今上天皇の妻となる。今上天皇の正室(皇后)は明石中宮で匂宮の母君。桐壺天皇の皇子で朱雀天皇の皇太子・八の宮の姫君(大君・中の君)とは別人。八の宮の姫君・中の君はのちに、今上天皇の皇子・匂宮の妻となる。
現代語訳の出典・「源氏物語」小学館刊・阿部秋生・東大名誉教授(1999年没)
備考・出品した自筆は、大炊御門宗氏・自筆で近衛基熙の旧・所蔵になるものです。
《Bamboo River (竹河)》
Immediately guessing its nature, he took it from the heap
of papers in which the chamberlain sought to hide it.
Not wanting to exaggerate the importance
of a rather conventional complaint about an unkind lady,
the chamberlain smiled and let him read it.
"The days go by, quite heedless of my longing.
Already we come to the end of a bitter spring."
It was a very quiet sort of protest compared to the
lieutenant's overwrought strainings, a fact which the
women were quick to point out. Chagrined, he could think
of little to say, and shortly he withdrew to the room of a woman
named Chujo, who always listened to him with sympathy.
There seemed little for him to do but sigh at the refusal
of the world to let him have his way.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Genji』
Edward George Seidensticker(エドワード・ジョージ・サイデンステッカー)コロンビア大学教授(2007年没)
《柯根(竹河)》
知藏人少将早已看出是薰君的来信,忙把信去。
藤侍从心念如果决不,他将疑心有何秘密,
因此听其去。信中并无要事,只是慨世事之不称意,
微露怨恨之而已。内有云:
“无情月蹉,又到春残断。”
藏人少将看了信,想道:“原来人如此悠,
恨也是斯文一脉的。我太性急,惹人耻笑。
我不起,恐怕一半是看了我气之故。”
他胸中苦,并不和藤侍从多,
准到一向常与商量的侍女中将房中去和,
但念去也是枉然,因此只管声气。
藤侍从:“我要写回信他。”
中国訳文の出典:『源氏物語(Yunsh wy)』
豊子愷(ほうしがい)中国最初の「源氏物語」翻訳者(文化大革命で没)
注記・中国語の文字の一部がシステムの関係で反映されない場合があります。この場合、落札後に正確な中国語の文字を記載した中国語訳文を交付いたします。
左の写真が「源氏物語」竹河の巻の末尾(原本番号41-B)の押印。
写真一番左下の角印が仙台藩の家紋印(竹に雀)
家紋印の上の2つの印は仙台藩第五代藩主・伊達吉村の正室(冬姫)。冬姫は内大臣・通誠の養女。
冬姫は通称。正式な名は伊達貞子。左端の写真は「竹河の巻」末尾の拡大写真。
上の篆書体は、「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)の押印。
篆書体の左の二つの印は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)と娘・玉映の落款
写真右上の2つの印は仙台藩医・木村寿禎の落款
右端の写真上は仙台藩主(伊達家)正室一覧表の表紙。表紙の下は一覧の拡大写真(仙台市立博物館・刊行)
(奥書は、令和2年11月29日に蔵の中の桐箱から発見されたものです。)
(出品した自筆の「断層画像写真」(竹河の巻)MRI 44―19B
自筆二つの印のうち上は、出雲・松江藩主・松平治郷の正室「方子(よりこ)」、上は娘の幾千姫(玉映)の落款。
「源氏物語・国宝」「竹河の巻」主人公の資料
下記写真は、「国宝・竹河・源氏物語絵巻」の中に描かれる玉鬘の姫君(大君・中の君)
「源氏物語絵巻 」竹河(国宝)玉鬘の姫君(大君・中の君)の侍女
右下は、玉鬘の姫君(大君・中の君)と御簾の外からかいま見る夕霧の子息・蔵人少将。
「近衛基熙の肖像」「後西院天皇主賓の茶会の記録」
1番上の写真は、第103代後土御門天皇と曽祖父・大炊御門宗氏の系図(公家事典303頁)
2番目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル。2番目の写真は近衛基熙の肖像(陽明文庫・所蔵)
3番目の写真は、第107代後陽成天皇の曾孫・近衛基熙の天皇家・近衛家略系図
4番目の写真は、天皇家・近衛家略系図の出典(淡交テキスト「茶会記」に親しむ・7)平成29年7月淡交社・刊行
源氏物語「竹河」原本に記されております。紫式部が「竹河」を書くに際し、「白氏文集」の漢詩を熟読したうえで「源氏物語」の「竹河の巻」を書いていることがわかります。この原詩の言葉の引用は、「竹河の巻」に用いられていることで広く知られている。紫式部がこの原詩に親しんでいたと推定されている。
「上楼空望往来船」(楼に上りて空しく望む、往来の船)という漢詩文の落款が押捺されている。この漢詩は「白氏文集」に由来するものです。
つまり、原文の内容に関する漢詩の落款を押捺しているのは、茶会における床の間の「掛け軸」(かけじく)を拝見(はいけん)の際に、茶会を主催する亭主が、客に「最高のごちそう」を振る舞うために披露したものです。茶会の際に落款に記された由来を知った客が広くそのことを社会に広めたために結果的に、多くの茶会に開催される「最高のごちそう」として原文に関係する漢詩の落款を付したものです。「落款」の漢詩の由来を待合において説明する際に、長い時間を要し、茶会における貴重な時間であったと推定されております。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層(MRI)写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層(MRI)写真撮影」をしております。撮影後、展示のために再表装をしております。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるような特殊な表装となっております。
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の状態、点画の形態などに見られる筆跡の特徴によって識別する方法、そして、書の勢い、速さ、力加減、滑らかさ、などの筆勢によって識別する方法が一般的な手法です。
一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
2・大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)の自筆の特定について
自筆の筆者は、書体、書風から京都の公卿によって書かれたものであるはわかっていたが、昭和38年以来、筆者名は特定されていなかった。その後、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析と並行し、奥書の「宗」の字の下の文字が判読できずにいた。それが、技術の進歩により「宗」の下の文字が「氏」と判読された結果、南北朝時代から室町時代前期の公卿であった「大炊御門宗氏(おおいのみかど むねうじ)」であることが判明した。
「源氏物語」には、応永五年(1398)~応永十三年(1406)までの複数の年号の記載があることから、大炊御門宗氏が23歳から31歳までの間に書かれたものと推定されている。宗氏は、正二位・内大臣まで昇進したのち、応永28年(1421)47歳で没している。
3・自筆「源氏物語」の旧・所蔵者の特定の経緯について
近衛基熙の旧・所蔵の特定は、「花押」の写真照合技術によるものです。アメリカのコンピューターを用い、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析を、花押の照合に応用し、指紋の照合方法と同じ手法により99.9パーセントの確率で特定に至ったものです。
4・近衛基熙(このえもとひろ)について
近衛基熙は、慶安元年(1648年)3月6日、近衛尚嗣(関白・左大臣)の長男として誕生。母は後水尾天皇皇女女二宮。実母は近衛家女房(瑤林院)。幼名は多治丸。父、尚嗣が早世し、尚嗣と正室女二宮の間には男子がなかったため、後水尾上皇の命により、近衛家の外にあった基熙が迎えられて上皇の保護下で育てられた。承応3年(1654年)12月に元服して正五位下に叙せられ、左近衛権少将となる。以後、摂関家の当主として累進し、翌年明暦元年(1655年)従三位に上り公卿に列せられる。明暦2年(1656年)に権中納言、万治元年(1658年)に権大納言となり、寛文4年(1664年)11月23日には後水尾上皇の皇女常子内親王を正室に賜った。寛文5年(1665年)6月、18歳で内大臣に任じられ、寛文11年(1671年)には右大臣、さらに延宝5年(1677年)に左大臣へ進み、長い時を経て元禄3年(1690年)1月に関白に昇進した。近衛基熙は、寛文5年(1665年)から晩年まで『基熈公記』で知られる日記を書いている
ツイッター「源氏物語の世界」も合わせてご覧ください。
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